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2019年11月12日

おかげさまで

今小学校3年生になる長女が生まれて少したった頃、沖縄の地方銀行の本店に口座を作りに行った時、抱っこして書類を書く私を不憫思った行員さんが、赤ちゃん抱っこしておきますよと言われ手渡し、書きながらふと見上げると娘はカウンターの中で他の行員さんたちにも次々抱っこされていた。
その長女が先日描いた絵で賞をとり、表彰式に那覇へと出かけた。その会場は各離島の物産展のようなところだったが、見ず知らずの名前も知らない方からほめていただいたり、お土産をいただいたり、たくさんの方から愛情をいただいてきた。
沖縄という土地柄もあり、この長女も、次女も、本人たちは覚えてもいないだろうが、本当にたくさんの人に愛情を注いでもらってここまで育ってきたなと感じています。

おかげさまでわらびやにとても愛情を注いでくれる人にWさんという冒険家がいる。
もう20年くらい昔に横浜から沖縄までヨットに一緒に乗って以来の知り合いで、実はその世界ではとても有名人なのですが、うちでは月に2-3回自分で作った無農薬の野菜や果物を送ってくれる人、毎年6月のサバニレースでサポートしてくれる人です。
無農薬なので売ればいいお金になるし、送料も手間もかかるのにわざわざ送ってくれます。サバニレースのサポートも本当はかなりの報酬を払うべきプロですが、これもボランティアで一緒に漕いでもらっています。

とてもありがたいことですが、子どもたちにとってはたぶん私の変わり者の友人の一人、保護者の中には知らない方もいるかもしれません。
Wさんだけでなく、わらびやには他にもサポートして愛情を注いでくれる方がたくさんいらっしゃいます。
大人である私たちも含めて、子どもたちもみんな実はこうやって気がつかない中で本当に多くの方々に愛情を注がれ育てられて大きくなってゆくのだと思います。

その一方現代の経済は、こういった目に見えない、見えにくいものではなく、いかに最小のコストで最大の目に見える利益を得るかということに焦点があてられています。
そして多くの方々はその世界に順応することをよしとして、ある意味たくましく、競争を勝ち抜いていこうとします。
極論すると、そこには他者への配慮、愛情というものはなく、むしろ気がつかないうちに他者のエネルギーやお金や時間を奪っていることのほうが多いのではと思います。

競争原理ではなく、愛情原理で生きていると「おかげさま」や「ありがとう」という言葉が増えるような気がします。いただいた愛情が溢れて自然に感謝して、それを誰かに注ごうとするのでしょうね。
留学生や保護者と接してきて、おかげさまという言葉を使える保護者の子は公のことも自分のこととして出来るし、そうでない保護者の子は何か自分のことをやってもらってもそれを当たり前に思ったり、ましてや公のことは何で私がやらなきゃいけないのと思う子が多いなと感じてきました。
おかげさまやありがとう、という言葉でさえもコストになってしまったのか、昔に比べておかげさまの言葉を使う人が減ったような気がしますが、これだけ競争原理が行き詰ると、陰極まって陽となる(目に見えないものが出てくるから、陽極まって陰となるかも?笑)これからまたおかげさまの時代になっていくような気がします。
それも滅私奉公ではなく、栄私奉公みたいな形で。
先日首里城が燃えたときになぜかそんなことを思いました。

RYU



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